2008年 10月 09日
過去のトラウマ。
お口の恋人ロッテのガーナミルクチョコレートです。
で、何を思い出すかというと、小学校1年生のときに、
誘 拐
されそうになったことを思い出しますねぇ。
私が幼いころに育った場所は、商店街で、どちらかというと、かわいらしいと言うよりは、計算高い図太い子供が多く生息している場所でした。
商人の子供たちがわんさかいる場所で育ったわけです。
人格形成で一番大事な時期を、そんなところで育ったのです。
子供のころにしたおままごとでは、お父さん役の子供とお母さん役の子供が売り上げのお金をめぐって喧嘩するっていう設定で進んでいったり、お店屋さんごっこをすれば、必ず、意味もわからないくせに、『領収証はどうしますか?』って言葉を言ってましたね。
そんな環境で育ったので、誘拐されそうになったときにとった私の行動も、この商店街の子供ならだれしも、とるであろう行動だったわけです。
子供の頃、鉄を作る工場が近くにあったので空気がとっても汚れてました。
で、その工場、さすがに公害がここまできたらあかんやろうと思ったかどうかはわかりませんが、何を考えたか、グリーンベルトと呼ばれる、まさにベルトのように横長の公園を作ったのです。近くの海から掘り上げた土を公園の一角に積み上げてました。
その海底から持ってきた土の中に、びっくりするほど大きな貝殻がたくさんあったのです。
子供だった私は、その貝を、これはきっと図鑑で見た、
アンモナイトの化石
だと信じて疑わなかったのです。
人が来ないような場所ではありましたが、私にとってそれは好都合。
なんせ、膨大な貝殻を独り占めできるのです。
一番仲の良かった同級生の幼馴染と、その日も貝殻をとりに行きました。
場所は、二人だけの秘密です。
時刻は夕方。
私とその幼馴染がいつものように貝殻拾いをしていると、今まで人が来たこともないのに、若い(といっても今考えると20代ぐらいか)のお兄ちゃんが一人で近づいてきて話しかけてきました。
子供の本能というか、なんかこの人おかしいと思いました。
ちょっと離れた場所にいた幼馴染も私のいるところへ走ってきました。
そのお兄ちゃんは、ガーナチョコレートを2枚だして、一枚づつ私たちに渡しました。
「これあげよう」
私たちは、素直に頂きました。
もちろん、親には、常日頃から、知らない人にものをもらってはいけませんと教えられてはおりましたが、毎日50円のおこずかいのわたしたちには、ガーナチョコレートは、超魅力的でした。
私たちは、泥だらけで、どう見ても、お金持ちの家のお嬢には見えなかったはずなので、営利目的の誘拐ではなかったはず・・・。
そう、たぶん、世間でいう、
変 態
だったんだと思います。
チョコレートさえもらえば、そのお兄ちゃんに、もう用はありません。
そのお兄ちゃんは、私たちに、
「二人だけでここまできたの?」
と聞いてきました。
やっぱり・・・と私は心の中でにんまりとしたのをよ~く覚えています。
お母さんに、悪い人は「一人できたの?」って聞いてくると教えられていたのです。
で、その時は、「ううん、お母さんがあそこで待ってるねん」って言って全力で走って逃げろと言われていたので、私は、
「ううん、私たちのお母さんがあそこで待ってるねん」
と言って、幼馴染の手を握って全速力で走りました。
家に帰ってチョコレートを引出しにかくして、喜んでいると、なぜだか母マサ子に、ガーナチョコレート事件の一部始終が漏れてるのです。
もちろん、チョコレートはマサ子に没収・・・。
なんで、ばれたかというと、その幼馴染が家に帰って、母親に正直に話してしまったのです。
その幼馴染のお母さんは、わざわざ「ほずみちゃんの機転がうちの娘を救ってくれた」と報告に来てたのです。
母マサ子には、
「ものを貰うまで待たずに、変な人が来たらすぐに逃げなさい」
とたんまりお説教をくらってしまいました。
そのご、20年以上が経過するのに、幼馴染のおばちゃんは、私に会うたびに、そのことを話にだして、
「ほずみちゃんが計算高い子でほんまによかったわ」
と言ってくれます。
結局ガーナチョコレートは食べれずじまい・・・。
いまだに、このチョコレートを見かけると、誘拐されそうになったという事実より、マサ子に没収されたチョコレートがどこへいってしまったのかが気になって仕方ないのです。