恩師の遺産。

今度、舞子で講演を一緒にする同期は、脱毛技術研究学院という脱毛専門の学院の普通課程~講師課程~認定講師課程まで、ずっと一緒でした。

そして、彼女は今回、パワポを作ってくれたのですが、「最後に中西先生の言葉とか入れるのはどう?」と、言うので、

「良いよ~」と返事をしてました。

中西先生というのは日本で初めて、脱毛技術をアメリカで学び日本に定着させた方です(^^)

○か○ユリさんが、よく「私が初めて脱毛を日本に持ってきたの!」とか恥ずかしげもなく言ってますが、

あれ、ウソです(笑)

あの方は中西先生のところでお勉強されました。そして、中西先生の紹介でアメリカのヒンケル脱毛学院に行ったのです。

知ってる人は知ってる有名な話なんですが、本当にあの人を見るたびに厚顔無恥って言葉しか浮かばない(-_-;)

先生が亡くなる2ヶ月ぐらい前かな、もっと前かな…とにかく、亡くなる数ヵ月前は先生は家で安静に生活をおくられてて、

近所なので、しょっちゅう顔を見に行ってました。

あるとき、いつものように遊びに行ったら

「これ、読んでみろ」

と、応接間でソファーに座ったままで一冊の雑誌を受けとりました。

広げられたページをさっと読むと、「○か○ユリの半生特集」みたいなルポで、


案の定、

「初めて日本に脱毛技術をアメリカで勉強して持ち帰りました」

と書いてありました。

先生は本当に怒ってらして(普段はびっくりするぐらい温厚でおもろいおっさんなのですが)
、体調が思うようにいかないのもあって、自分がそれこそ命がけで教え守ってきた技術を、まるでその偉業が簡単なことだったと言いたいようないい加減な記事に不愉快だったのだと思います。

「先生、これさ、先生が初めて学んだっていうのはアメリカのポーラや同期だった人たちが証言してくれるし、証拠はディプロマにしろなんにしろ腐るほどあるんだから、この出版社に記事の訂正や差し替えを請求することはできるよ。もし、先生がそうしたいなら私が全部やるけど」

と、正直言って私もムカついた記事だったので、そう提案してみました。

それに先生の時間はその頃には、少なくなっているのかもしれないと感じるだけの状態になっていたし、

このまま好き勝手なことをさせて放置するのは、先生のためにも止めさせたかったのですが、

中西先生はこう言いました。

「森脇、お前が知ってるように、どっちが本当かということをわかってる人はわかってる。それに、この女がウソをついてまで守らないといけないプライドと俺が持って帰ってきた技術を比べるのはそれこそこバカバカしいことだから、放っておけ。偽物だということは彼女が一番わかってる」

と。

そんなことよりちゃんとした技術を後輩たちに伝えるのにお前の時間を使え、

とも言われました。

一番気分を害してるはずの先生がそう言うのだから、私たちもそれに倣うことにしました。

そして、先生が亡くなって4年目が来る年になっても、中西先生の関係者からお仕事を頂くことがまだまだ多くあり、

今回の舞子の講演も中西先生の最初の頃の教え子で、私の大先輩からの依頼でした。

で、かなり話は横にそれてしまったのですが、

私は最後に来てくださった方に伝える先生の言葉はこれが良いな、と最初に頭に浮かびました。

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先生に頂いた目に見えない遺産はすごくあります。

確かな技術、確かな知識、助け合える仲間。

そのなかでもこれはずっと私が仕事をするうえで支えになっている言葉なのです(^^)

この言葉を自分のなかに浮かべ、日々、振り返ることで技術者としてエステティシャンとして講師として、反省と奮起します(^^)


そして、舞子ビラの講演のパワポの最終稿が同期から届いて、最後を確認したら、


彼女も同じ言葉を選んで載せてました。


それを見たときに、中西先生が亡くなる前にもずっと、

「お前らにはちゃんと正しい技術を持っている仲間がいるから、仲間を大事にして助け合うんやぞ」

と言っていた言葉を思い出して、ふいに喉の奥があつくなりました。


私も同期も大切な言葉に同じものを選びました、と今度お墓参りに行ったら報告しよう。

そして、私もこの言葉を後輩に伝えていきたいと思いました。






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by hosumi_moriwaki | 2017-06-17 09:20 | 日常 | Comments(0)